これで何度目になるだろうか・・、こうして単独で厳しい沢に挑むのは。経験を積むにつれ入渓前の緊張感や恐怖感が和らいでいく。
おそらく飯豊のみならず、日本でも屈指の難度を誇るであろう梅花皮沢滝沢。
そんな沢に入る前でさえ、むしろ私の心を占めていたのは、これから始まる冒険への大きな期待感であった。
9月9日(晴)
飯豊山荘の先のゲートに車を停めてから、1時間強で滝沢出合に着く。入口には早速、関門のように落ちる6m滝。
空身で左岸バンドをトラバースして越える。
いったん狭まった谷は進むにつれて幅を広げ、左曲した先には梅花皮大滝が姿を現す。美しい岩と草に囲まれた大空間の中で、圧倒的な存在感を放っている。
全てを拒絶する峭壁を白布のごとく流れ落ち、まるで空から降り立つ天使の軌跡を描くかのようだ。
ラインを見ながら、はやる気持ちを抑えて登攀準備に入る。ラバーソールに履き替え、いざクライミングモードへ。
F1 : 高さ35m、登攀距離80m(Ⅲ)
左の大スラブを50mほど登り、右へ30mトラバース。難しくはないが高度感があり、滑落が許されない分、妙に緊張した。登攀中に最上段F6の姿を見ることができる。
F2 : 高さ20m、登攀距離30m(Ⅲ)
左のスラブからルンゼを登る。F2落ち口から見るF3・F4・F6の連瀑が美しい(F5はF4の奥に隠れて見えない)。
F6はまるでこの大空間を守る最後の番人のようだ。
F3 : 高さ15m、登攀距離20m(Ⅳ)
最下部からは見えなかった滝。左のスラブを登る。スタンスの細かい部分があるが、ラバーソールなので特に問題はない。
F4 : 高さ25m、登攀距離35m(Ⅳ+)
左の渋いジェードルを直上し、右にトラバース。カンテを回り込んでテラスに出て、水流左を登って落ち口へ。
F5 : 高さ15m、登攀距離25m(Ⅲ+)
水流を左岸へ渡った後、右壁を10m登り、左にトラバース。
※F1~F5は全てザックを背負ったままのフリーソロで登った。
F6 : 高さ50m
1P目:
登攀距離15m(Ⅳ)、空身でロープ使用
ガレの途中から右壁に取り付き、所々草付になっている岩壁を左上。バンドへ上がり、左にトラバースして、ジェードルに達する。
ここにはボルト3本でアンカーが設置されていた。ライン上ではハーケンを打つことはできなかったが、中間支点として残置ボルトが3本あった。
2P目:
登攀距離30m(Ⅴ)、空身でロープ使用
ジェードルをステミングベースで、右カンテを交えながら登っていく。ムーブがあって面白い。
前半に残置ボルトが1本あるが、それ以外の中間支点は潅木が主体。途中で5mほどランナウトする箇所があった。
行き止まりで右の潅木に吸い寄せられるが、上がってみるとラインが違うことに気付く。潅木にアンカーを取り、登り返しの途中から本来のライン(次のピッチ)へ移行することにした。
3P目:
登攀距離20m(Ⅲ+)、ロープ使用
行き止まりから左の草付に向かってトラバースし、点在する潅木を伝って左上する。
ザレた垂壁の乗り越しが意外と悪く、腐った潅木でバランスを取りながら体を引き上げた。藪をトラバースして落ち口に出る。
約4時間の楽しく登り応えのある登攀もついに終わり、待望の梅花皮大滝の上に立つ。
下方に素晴らしい眺望が広がり、ここにこうして立っている自分が何だか不思議に思えてくる。想像の中だけの世界がついに現実となり、すぐにはそのギャップに順応できなかった。
ふと我に返り、行く先に目を向ける。するとそこにも壮大な景色が広がっていた。
緑の美しい山並みを覆う白い雲。合間から見える青い空。そしてそこから溢れる光の粒子が沢を照らし、まるで楽園のようだ。
上部に険悪なゴルジュが存在するとは思えないほど、穏やかな雰囲気が辺りを包む。
果たしてこの先には何が待つのか・・。
最初に現れたのは雪渓だった。豪雪地帯ゆえ、やはり雪渓通過を免れない。上に乗って越えると、
その先には流水溝のような下部ゴルジュ帯が待ち構えていた。
簡単には通過できそうもない様相に緊張感が高まる。
最初の3m滝を越え、左岸のバンドに上がる。ラバーソールに履き替えて、次の4m滝の上までトラバース。さらにバンドをたどって、その先の5m滝に近付いてみるが、通過は厳しい。
戻って4m滝の落ち口を右岸に渡り、右上するバンドを登る。逆層で掛かりのよいホールドが少なく、足主体のクライミングとなる。
途中でラインが2つに別れ、どちらに行くか悩まされる。一つは側壁のトラバースで、もう一つは上部の草付へと続く。
まずはより水線に近い前者を選ぶが、滑り易い岩がフリーソロの妨げとなり、すぐに行き詰まる。次に後者のラインを取るが、先が読めず、結局ロープを使用することになった。
いったんゴルジュから抜け出し、草付の岩壁帯をトラバースして、15m滝の下に降り立つ。(Ⅳ~Ⅳ+)
(梅花皮大滝F6にボルトがあった他には、残置の類は一切見ておらず、支点は全て自前ハーケンを使用した。なおこれ以後も残置を見ることはなかった。)
15m滝は左壁を空身でフリーソロ。出だしが核心でトリッキームーブが面白い。(Ⅳ+)
この滝を最後に下部ゴルジュが終わる。
すぐ上には次のゴルジュの入口が迫り、雪渓が白いガスとともに冷気を放出している。山風が強く、まるで冷凍庫に入っているかのようだ。
寒い沢床を避け、左岸の細い支流に上がって幕場とする。増水に耐えられる場所ではないが、この付近でそんな場所があるはずもない。
9月10日(晴)
ゴルジュ最初の雪渓は50mほどで、内部を通過。雪渓から出ると目の前に15mCS滝が現れる。
滝身の直登は不可能だが、左壁のバンドにラインが見出せる。完全な岩壁登攀となるため、ラバーソールに履き替える。
右上する明瞭なバンドをたどるが、最上部で傾斜が増し、フリーソロで突っ込むにはリスクが大きい。数メートル下に走る別のバンドにクライムダウンし、先の見えないトラバースを続ける。(Ⅳ-)
前方には再び雪渓が現れ、上から覆いかぶさる屋根のようだ。その入口に位置する5m滝の上に降り立ち、雪渓内部の通過を試みるが(ここでタビに履き替え)、すぐに崩壊したスノーブロックに遮られた。
その先は暗黒の闇で、雪渓の長さが分かず、入口に戻って右岸側壁バンドから高巻くことにする。先を見渡すと、雪渓は100m先で切れているのが見える。
ゴルジュ内の様子を窺うために、やはり内部を進むべきだったと、一瞬戻ることを考えたが、いまさらクライムダウンも億劫で、諦めてトラバースを続けた。
どこかで雪渓に乗り移りたいが、雪面は側壁から離れ、基部から3~4mの高さでせり上がっている。こうなっては雪渓を寸断するクレバスを利用するしかない。下降してクレバスに入りこみ、雪のチムニーを這い上がった。
次のクレバスは幅が広くて通過できず、左岸のテラスにジャンプで飛び移る。そこから沢床にクライムダウンし、再びゴルジュへと潜入した。
内部は雪渓の「雨」がひどく、出口には膨大なスノーブロックの山。その奥は極度に切り込まれたゴルジュとなり、悪相の20m滝が落ちている。
これも滝身の直登は不可。しかし右岸の脆い壁が弱点となりそうだ。ラインを見定めたが、登攀に取り掛かる前に、雪渓内部を戻って下流の様子を窺いに行くことにした。
とりあえず50mほど戻ってみるが、滝はなく、ただゴーロ。今まで大きめの滝がある場所では必ず雪渓が途切れていたことを考えると、この雪渓内部に大きな滝が存在することはまずないだろう。
気になる部分も確認し、本題の登攀に入る。実際に取り付いてみると狙ったラインはあまりに脆く、ハングしているので却下。
左に回り込んで緩いルンゼを上がり、上部でバンドをトラバース。5m滝の上で沢床に戻った。
再び雪渓に潜ると、次も20m滝が現われた。両岸垂壁に挟まれたこの滝は成す術もなく、右のスラブから広い岩棚に上がって高巻く。
谷はさらに深まっていき、凄まじい威圧感だ。谷を塞ぐチョックストーンが続き、前方にはまたしても巨大な滝が見える。
近づくとそれも約20mの滝。両岸高い垂壁が峭立し、今回はそう易々と越えさせてくれなそうだ。
唯一の弱点である右壁を登って高巻くしかない。急なスラブを10m登り、上部の緩傾斜帯に出る。(Ⅳ)
振り返れば、ゴルジュの側壁が圧倒的なスケールで迫ってくる。緩いスラブからルンゼに入り、左の岩壁を回りこむように上がっていく。
切れ間なく岩壁が続くが、一箇所急な草付ルンゼに点々と藪が繋がって弱点になっている。
出だしの3mハングは藪を掴んで強引に越え、ルンゼに取り付く。(取り付きのみ空身。)
順調に上がっていくが、徐々に傾斜が増し、ついには垂直近い草付に阻まれる。右の露岩に追いやられるが、足下はスッパリと切れ落ち、15mほどの高さに張り付いている自分に気付く。
逆層のため、どのホールドも掛かりが悪く、ラップで持つようなものばかりだ。いまさらロープを出す余裕もなく、意を決して登っていくしかない。
スタンスを確かめながら、慎重かつ大胆にムーブを起こし、難所を越える。
ルンゼの上端でリッジを越え、反対側に下降。藪からすぐに岩壁となり、バンド伝いに下っていくが、最後にいやらしいスラブルンゼのトラバースが待っていた。
スリップの恐怖に怯えながら、ボロボロのバンドにつないで下降を終了する。
谷は開け、「これで上部ゴルジュも終わりか?」と安堵するが、前方で左曲する谷筋がゴルジュの存在を示唆している。どうやらまだ解放してくれないようだ。
次に現れたのは幅5m側壁50m以上で、一直線に続く美しいゴルジュ。まるで巨大な斧で断ち割ったかのようなするどい切れ込みを見せている。
内部には悪相のCS滝が続き、通常なら巻きを考えてもおかしくない所だ。しかし、ここまで水線通りに遡行してきた以上、もはやゴルジュ突破しか私の頭にはなかった。
2m、5m、4mと順調にCS滝を越す。しかしその次の3m滝は全く弱点がない。ここは切り札の「ハンマー投げ」を、左の側壁とチョックストーンの間に狙い通り一発できめ、プルージックのアブミで突破する。
奥には6m滝、10m滝と続くが、10m滝の上は明るい光が差し込み、これが最後の難関であることを知る。
6m滝の右岸にはスラブ壁がせり上がり、10m滝を併せた登攀ラインの候補となる。
遠目には登攀不可能に見える10m滝だが、やはり間近で見ておきたい。6m滝を左壁トラバースで越え、10m滝直下に行く。
黒光りする壁をざっと見て「やはり登れないか・・」と、先ほどのスラブラインに戻りかけるが、念のためもう一度確認してみると、パッと見では気付かなかったホールドが、左壁にたくさん浮き上がってきた。
出だしは被り気味だが、そこを越えれば、問題なく上部へと繋げられそうだ。
「可能な限り最良のラインに挑戦する」ことを信条にしている私にとって、滝の直登で上部ゴルジュを抜けるこのラインは、最後の難関にふさわしい、登りがいのある魅力的なラインに見えた。
前半のホールドが細かいため、ラバーソールに履き替え、ロープも出す。いざ登り始めるとよい具合にホールドが続き、見た目ほど難しくはない。中上部は予想通りホールドが大きく、爽快に登ることができた。(Ⅳ+)
まるで登るためにバランスよく配置されたかのようなホールドに、自然の妙を見る。
会心の登攀とともに、ついに悪絶なゴルジュも終焉を迎えた。
ゴルジュの末端と言えるこの滝の上から、大ゴルジュ内を見下ろし、これまでの過程を思い返す。
数々の特異な景観を目にし、いくつもの難滝をあらゆる手段を講じて突破してきた経験は何ものにも代えがたい。
特に中上部ゴルジュ帯の通過は他に記録を見ず、私にとって完全に未知なるものだった。
自分の知らない全く新しい世界がそこにはあった。
「次は一体何が現れるのだろう?」
そんな好奇心、期待、不安が入り乱れる中での冒険的遡行は、私の求める沢登りの理想とも言える。
これより上部の渓相は、ここまでの困難を乗り越えた者にしか見せない滝沢の別の顔だ。
穏やかで優しい飯豊の懐に抱かれながら、緑溢れる稜線へと詰め上がった。


大空間が広がる。
見えているのはF1・F2・F4。

豪快な滝だ。

天使の軌跡。

現実離れした美しさ。

左のジェードルがラインになる。
細かいフットワークが要求される。

下からは見えない滝。
F4を登ってやっと拝める。

梅花皮大滝最後の砦。
右のジェードルがラインとなる。

楽園を連想させる風景。

ついにゴルジュが始まった。

右のスラブをトラバースしていく。

右岸バンドからゴルジュを見下ろす。

巻くために、いったんゴルジュから出る。

左壁を登るが出だしが渋い。

ゴルジュ内を覆う。
ここは内部を通過した。

両岸ハングした岩壁に囲まれる。

鋭く反り上がる雪渓。

バンドをハンドトラバースしていく。

現実感の無い奇妙な空間だ。

岩に囲まれた谷を見下ろす。
スケール感が分かるだろうか。

究極に切り込まれた谷。

まるで芸術品のようだ。

このゴルジュに終わりはあるのか・・。

どこまでも厳しい。
右壁のスラブから巻くしかない。

壮大なゴルジュにふさわしい。

スカイラインをクライムダウンし
手前に向かってトラバースする。

一直線のゴルジュに巨岩がひしめき合う。

見事にハングして登れない。
ハンマー投げで突破する。

大地の底から見る青空は
とにかく美しかった。

ここを越えれば光の世界が待っている。

回収のための懸垂下降途中にて。

長大なゴルジュの旅が終わった。

下部からは想像もできないほど
穏やかな流れとなる。

画像をクリックするとPDFで開きます。
右のバンドをトラバース。